あかるい職場応援団
厚生労働省

「ハラスメント基本情報」【第71回】「入院患者から暴行を受けて障害が残った看護師に対し、病院側に安全配慮義務違反があったとして、損害賠償責任を肯定した事案」―医療法人社団こうかん会事件

  • 顧客等からの著しい迷惑行為
  • カスハラに対する会社(使用者)の責任についての裁判例

【第71回】
入院患者から暴行を受けて障害が残った看護師に対し、病院側に安全配慮義務違反があったとして、損害賠償責任を肯定した事案

結論

看護師Xが夜勤中、せん妄状態の入院患者から暴行を受けて負傷し、障害が残ったことについて、使用者である医療法人Yには安全配慮義務違反が認められ、Xに対し約2000万円の損害賠償を支払う必要がある。

事案の概要

看護師Xは、医療法人Yが経営する病院の看護師であり、夜勤中、せん妄状態にあったと思われる入院患者から暴力を振るわれて、頸椎捻挫、左上肢拘縮等の傷害を負って休職した(第一事故)。Xには後遺障害が残ったが、病棟勤務として復職していたところ、別の入院患者から食事介助中に腕をつかまれるなどの暴力を受け、その恐怖心等から適応障害を発症し、再度休職した(第二事故)。Xが、第一事故、第二事故についてYに安全配慮義務違反があったなどと主張し、債務不履行(民法415条)を理由として損害賠償を請求したのが本事案である。

判決のポイント

1.第一事故について

病院において、せん妄状態、認知症等により不安な状態になる者がいることもやむを得ない面があり、このような入院患者による暴力行為を完全に回避、根絶することは不可能であるといえるが、Yとしては「看護師の身体に危害が及ぶことを回避すべく最善を尽くすべき義務があった」。
具体的には、看護師全員に対し、ナースコールが鳴った際、看護師が暴力を受けている可能性があることも念頭に置き、自己の担当病室からのナースコールではなかったとしても、「直ちに応援に駆け付けることを周知徹底すべき注意義務を負って」おり、この義務を怠っていた。
第一事故の当時、Yがこのような義務を怠った結果、患者から暴行を受けたXがナースコールを押しているにも関わらず、ほかの看護師が応援に駆け付けることが遅れた結果、Xに傷害、後遺障害を負わせる結果となった。この点につき、YにはXに対する安全配慮義務違反があったといわざるを得ない。
損害としては、Xに後遺障害が残り、就労可能な職種の範囲が相当な程度に制限されることで、労働能力を20%(最初の3年間は35%)喪失したといえる。よって、将来にわたって労働能力を失ったことによる逸失利益として約2,280万円(つまり、失われた利益に対する賠償として約2,280万円)、慰謝料として600万円等が認められる。ただ、訴訟外で、Xの負傷等は労働基準監督署長によって労働災害と認定されており、労災保険給付を受給していた。労災保険給付のうち障害をカバーする障害補償給付については、上記の逸失利益に関する損害賠償と重なるため、損害額から労災保険給付分を控除するという調整を行った結果、YはXに対し約2,000万円の損害賠償を支払わなければならないものとした。

2 第二事故について

看護師が患者からの暴力により傷害を負うこと自体は一般的に予見可能(予想可能)であるといえるが、「患者から暴力を振るわれたことによる心理的負荷を原因として精神障害を発症する」ことが、当然に予見可能であるとはいえない。
Yは、復職後のXの勤務状況を観察しつつ、Xに依頼する業務を徐々に増やしていき、その中で入院患者に対する食事介助を依頼したという経緯がある。YはXの心情に鑑み、それなりに慎重に対応していたといえる。また、第二事故は、Xが腕をつかまれたほかは、殴られるなどしたわけではなく、第一事故とは明らかに暴行の程度や態様などが異なっており、客観的に見て、精神障害発症の引き金になるほど、重度の心理的負荷をもたらすものであったとは認め難い。
以上から、第二事故の発生に関しては、Yに安全配慮義務違反があったとは認められないものとした。

コメント

1 本事案の位置付けについて
本事案においては、せん妄状態にある入院患者からの暴力による負傷等に関して、看護師に対する病院側の安全配慮義務違反が認められました。せん妄状態における暴力行為をカスタマーハラスメント(顧客等からの著しい迷惑行為)と位置付けるべきか否かについては、当然、さまざまな考え方があると思われます。ただ、本件のポイントは、そうした危険が生じうる職場環境のもとで、使用者としては何をすべきだったのか、という点にあります。このポイントに着目すれば、本件からカスタマーハラスメント(カスハラ)の問題について学ぶべきことは多いです。そこで本サイトでは、本件をカスハラに関する一事案と位置付けて紹介することとしました。

2 カスハラについて生じる法律問題
顧客等によってカスハラが行われた場合、さまざまな法律問題が発生します。行為者(加害者)である顧客等は、不法行為(民法709条)を行ったとして損害賠償責任を負う可能性があります。また、カスハラ行為が暴行(刑法208条)など犯罪に該当する場合、刑事責任を負う可能性もあります。
他方で、従業員に対し、会社など使用者は安全配慮義務(労働契約法5条)を負っています。よって、カスハラの被害を受けた従業員を放置するなど、安全への配慮が十分でなければ、安全配慮義務違反を理由として損害賠償責任(債務不履行責任(民法415条))を負う可能性があるのです。
本件では、第一事故について、Yの看護師に対する安全配慮義務が尽くされていなかったとして、損害賠償責任が認められました。使用者としては、カスハラに関する対策等を怠ることが、法的責任につながる可能性があることを十分に意識し、厚生労働省が作成した「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」を参照しながら対策を進めることが望ましいといえます(「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」は、ハラスメント対策の総合情報サイト「あかるい職場応援団」の「ハラスメント関係資料ダウンロードコーナー」からダウンロードできます)。

※カスハラ対策に関しては、2025年3月現在、いわゆるパワハラ指針(事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和2年厚生労働省告示第5号))において、事業主として対応が「望ましい」と位置付けられています。さらに、事業主に対する防止措置の義務付けなどを含む法制化も検討されていますので、最新情報に注意が必要といえます。

3 カスハラ対策のポイント
カスハラと一口に言っても、さまざまなケースがあります。本件(第一事故)では、せん妄状態の患者からの暴力行為が問題となりました。判決も述べているように、このような暴力行為を完全に防止することは難しいでしょう。しかし重要なのは、防止するのは難しいとしても、だからといって「何もしない」のではなく、できるだけ対策を行っておくことが必要ということです。本件では、看護師の身体に危害が及ばないようにするため、ナースコールの際に看護師が患者から暴力を受けている可能性を考え、ほかの看護師に応援に行くように周知することをYが全く行っていなかったことについて、法的責任が問われています。つまり、患者による暴力行為が発生したことそのものというよりも、暴力行為が発生したときに周囲がフォローに入る枠組みを何も作っていなかったことについて、法的責任が認められたということです。
この点は、病院に限らず、一般企業等におけるカスハラの事案においても学ぶべきところがあります。カスハラの行為者(加害者)は組織の外に存在しますので、組織内でどんなに研修等を重ねても、カスハラを完全になくすことはできません。「カスハラは起こるもの」という前提で対策を考えることが、使用者には求められるといえます。本件でいえば上記のように応援に赴く(周囲がフォローに入る)仕組みを作っておくことであり、業種・業態によって、さまざまなやり方が考えられるでしょう。そうした「やるべきこと」をやっていなかったことが、本事案でYに責任が認められたポイントであると考えられます。
なお、第二事故に関しては、Xが適応障害を発症したのは事実なのですが、本事案においては、Xが適応障害を発症することまでYに予見可能性があったとはいえないと判断されました。法律的なロジックとしては、結果が予見(予想)できるのであれば、その結果を防ぐべく、さまざまな措置を行うことが安全配慮義務として求められるものの、予見できなかったと認められる以上、適応障害の発症に関してはYに義務違反があったとはいえないということです。ただ、あくまで本事案の事実関係に沿って判断した結果、本事案においては予見可能性がなかった(安全配慮義務違反が成立しない)という話であって、こうした精神障害の発症につき、使用者にはおよそ安全配慮義務違反が成立しないということではありません。事案によっては安全配慮義務違反が成立する可能性もある点に留意すべきといえます。

4 カスハラ対策の意義
第一事故によって、Xには将来にわたって障害が残るという、非常に重大な結果が生じました。できる仕事の範囲が障害のために狭まってしまったことに対する損害賠償の額として、慰謝料と合わせて約3,000万円と判断されています。上記のとおり、労災保険給付と調整がなされ、最終的に支払を命じられたのは約2,000万円ですが、カスハラ対策を怠ったことによって使用者に生じる賠償責任は相当高額になることもありえます。
つまり、対策を怠ると、従業員の心身が深く傷付くだけでなく、使用者にも重大な責任が生じる可能性があるということです。対策にしっかりと取り組むことで、従業員を守ることはもちろん、ほかの顧客の利益を守るとともに、企業など使用者自身を守ることにもつながります。本事案を通して、カスハラ対策に取り組むことの意義(意味)をあらためて意識することが重要といえるでしょう。

 

著者プロフィール

原 昌登(はら まさと)
成蹊大学法学部 教授